ジグソーパズルのピースのように

何を食べるか、何を考えるか

「たんぽぽの日々」ひとりではできない世界の変化を楽しみたい、と思えた

 

たんぽぽの日々

たんぽぽの日々

 

お母さんになるの、楽しみかも、って思える一冊だった。前髪をきった後みたいに、ちょっと世界が明るくみえるようになった、気がする。

 

今のわたしにとって、赤さんが生まれることも、育てることも、楽しみだけれど、それ以上にこわいことでもある。未知なことが多すぎるし、この子にとってのお母さんて、わたししかいないわけで、責任重大。世の中にある育児に関する情報は、「育児ってこれ以上ない幸せ!!!」とか「思っていた以上に大変、とにかくしんどい」とか、とにかく両極端 。わたしは一体どっち側の人間になるのだろうか、今これだけ不安ってことは後者になって、育児ノイローゼになるのでは?とどきどきしてる。人ひとりの命と人生が、この手に委ねられる、って恐ろしいことだ。

でも、俵さんの歌は、素直に子どもをみつめ、変化する自分をみつめている。こんな風に素敵に言葉にすることはわたしにはできないけれど、つながる気持ちがある。この子がおなかにいるからこその見える景色の変化があって、きっとこれからこの子がいるからこそ気づく世界がある、それはきっといいことだ、って気持ちになった。

親子という言葉見るとき

子ではなく親の側なる自分に気づく

今のわたしには、この歌の気持ちが重ねられる。きっとこの子がいなければ、ちがっただろう。たしかにわたしの中で、何かが変わってきているし、変わっていく、それが楽しみだ。